2014年、私はネットで調べた東京文京区の病院へ。診察を待つ間「ただ育てにくい子、年齢的なものですよ」と言われたら子育てを相談すればいい。もしチェックシート通り発達障がいだと言われたら・・_受け止めよう!と腹をくくって診察を待っていました。
正直、初診でここまで決まるとは思っていなくて、ショックでした。私自身がそうだと言われた方がどんなに楽だったか。
小学校1年生の10月、あどけない顔で手をつないで一緒に歩く彼を、「ねぇ、観覧車に乗ってから帰ろうか」と_誘い、入り口で記念
写真を撮り、ハコに乗って窓から下を眺めた。・・さて、何をどう話そうか考えて考えて・・
『世の中にはさ、いろんな_形、大きさ、色の車があって、ビルやおウチがあるね。人間だっていろいろなんだから。大丈夫だよ。』
思わず泣いてしまった私に彼は、『コレは安全に作られているから落ちないよ。心配しないで。』と見事に的外れななぐさめ・・
『そうか。心配しちゃったよ』と笑ってしまった。
そして_”彼を知りたい”私はとても強く思ったのです。
決定されてからも全てを納得したくない自分がいて泣いてばかりの日は続きました。
でも、彼がやらかすコトに悪意はない。大きな声で叱っても届かないコトが多い。ため息ついても仕方ない。それにドキドキしている
彼がとても気の毒でした
たくさんの本を買い込み、オンラインで勉強をして「そういうコトか・・なるほどね」だんだん分かってきて、だんだん慣れてきたり
すると彼も少しずつ変わってきた。失敗もするけど、明るくそこそこ図太くなってきたのです。
今では周囲が呆れるほどおかしな親子、楽しく暮らしている(もちろん今でも時々はブチ切れるコトもありますよ)
最近、発達障害という文字を目にしたり、そのコトで悩んでいるご本人、ご家族の話を耳にする機会が増えた。
立派な先生はとても難しく、あるいはとてもデリケートな問題として扱うかもしれない。思い切って病院に出向いても、長い時間待合室で不安な思いをして、あっという間に”決定”され、
ショックのままそれでも家事、子育ては休めない。
私はそういう方々の日常のささいな出来事を聞いて「ある、ある」と共感したり、「なら、こういう方法は?」と提案出来る仲間、
そして経験者、先輩、指導者として存在していきたいと思っています
これって「大人の考え」だと思いませんか 客観的に眺めて無責任になぐさめる考え
だってみんな違ってみんないいコトなんて少ない 生まれてから何やら健診 幼稚園、小学校、中学校、高校、社会人
数を挙げたらキリがないですね。
分かっていて違うコトをするいわゆる反抗期とかなら仕方ない。もしくは興味を持ってほしいカマッテちゃんも当てはまるかもしれない。
でもでも・・もし本人にそんなつもりはないのに・・って。自分でもどうしてこうなっちゃうのかわからない・・って。
分かってもらえないし、分かってくれる人にはなかなか出会えないし・・それでも君は違ってもいい
みんな違ってみんないいなんだからって声をかけてくれる人との出会いがあったなら。その人はきっと恩師とか親友とか無二の友とか。
どれだけ注意されたじゃなく どれだけガマンした、頑張ったか。ほめられる・認められるって年齢に関係なく嬉しいものでしょ。
わが子が発達障害と分かった日からしばらくは自分を責め、(彼に課題を与え)大きな声をあげては自己嫌悪に陥り、寝顔を見ながら泣くことしか出来なかった私が
彼を知りたい 騒がしくも楽しい暮らしを送りたいとある意味開き直って勉強に目覚め資格を取って
今では知らない方からも”楽しそうね”と言われるまでになりました。(それでも時々ものすごいカミナリは落とします)
大丈夫。それでも大丈夫。私の経験がひとつのキッカケとなって一人でも笑顔になって頂けたら・・それが私の願いです。